自分の人生の毎日を、ただひたすら縁によって生きていくほかはない。
仏教では、
「この世の中に存在するものはどんなものも、それ自体で存立存在するものは一つもない。
すべては縁によって出来ている」と教えます。
これを「縁起(えんぎ)」と言います。
では、この世界にある様々なものはどうして存在しているのか。
それは縁によって存在している、とお釈迦さまは説かれます。
あらゆるものが縁を結んで、たまたま仮の姿として存在しているのであり、
従って、縁の巡り合いによってすべてのものは千変万化する。
これが「諸行無常(しょぎょうむじょう)」です。すべての現象は常なきものと説かれたのです。
人生というものを考えても、私というものがいて、人生という道を歩くのではありません。
毎日毎日の思わぬ不思議な偶然の出合いや体験が積み重なって、ようやく私の人生、また私の自己となるのです。
現在の私は、生まれてから今日までの様々な経験が蓄積されて出来上がっているのです。
後ろを見ると、確かに私の人生というものの道がはっきりと付いており、それは隣にいる人の人生とは内容が違う。
これは、縁というものが一人ひとり違っているからです。
しかも、私というものには明日が約束されていません。
明日、交通事故で死んでしまうか、あるいは思わぬ人と出会って、それが将来の素晴しい幸せな生活の端緒となるか、何も分からない。
従って、私達の人生、私達の自己は今日が最先端で、明日はありません。
自分の人生の毎日をただひたすら縁によって生きていくほかはないのです。
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