「いいかい、この世にも地獄があるんだよ」
「え、この世にもですか。
アリ地獄とかそういうんじゃなくて?」
「それをね『すごい地獄』っていうんだよ」
「すごい地獄?なんですか、それ」
地獄絵図よりすごい地獄ってどんなもんだろう。
いろいろ考えてみたがよく分らない。
「人からもっと『すごい』と言われたいために物や地位に固執する地獄。
すごい、すごいって、すごいを目指して転落する地獄なんだ。
この地獄はいたるところにあるんだよ」
「あ、そういう意味なんですね。分かりました」
「たとえば、クルーザーを持っていたらすごい、もっとすごいクルマが欲しい、もっと有名になってすごいって言われたい。ってやつ。
思い当たることないかい?」
たくさんある。
それでいけば僕は「すごい地獄」の住人だ。
ちょうど事業も軌道に乗った頃で、そろそろベンツでもと思っていたころだった。
ベンツが特にほしかったわけでもないが、それに乗って「すごい」と言われている自分を想像していたので、とってもグサッときた。
「今日もここへ来る途中、きれいな海を眺めて、みんな歓声をあげてたけど、ロールスロイスの窓から見ても、軽自動車の窓から見ても、見える海の色は同じなんだよな。
本当に好きならそれに乗ればそれも幸せなんだろうけど、もし『すごい地獄』にいたままロールスロイスに乗ったって経費がかかるばっかりでいつか嫌になって、結局もっと満足させてもらえるものを追いかけるんだよ」
見える海の色は同じ…
僕はその言葉で冷めてしまい頭の中からベンツが一気に消えて行った。
「いいかい、世の中ですごいと言われるものにあまり価値を置いちゃいけないよ。
それがすごい地獄の入り口なんだ。
テレビの中である有名な経営者が
『会社をつくってから、1日も楽しい日がなかった』
って言ったのを見たことがあるんだけど、あれなんか、苦しさを追っかけちゃった典型なんだよ。
目標ばっかり追っかけて、次の目標に行くことが自分の生きている証みたくなっちゃった。
すると、今度は自分と一緒に走る人を巻き込んでいくんだよね。
ネズミの暴走と同じ。
やがて海に出てみんな溺れ死ぬんだけど。
つまり楽しんでないんだよ。
目標を達成することだけを楽しむようになる。
目標がないと生きられなくなっちゃうんだね。
数字だけを見て、数字だけを上げてくんだ。
次はいくら、次はいくらって。
だから、その社長はキリキリしどおしだったって」
「なんか切ないですね」
その話を聞きながらいろんな人が頭に思い浮かんだ。
もちろんその中で走りまくってきた自分自身の姿も。
「そうだな。
でも大なり小なりこれって意外と多いんだよ。
人生1回だからな。
いつも言うけど、人生の最期って、明日来るかもわからない。
10年先かもわからない。
だけどそのときに『いい人生だったよ」って笑っていけるようにしないとな。
もう一度言うけど、『すごい』って言われることだけを追っかけるのは苦しみが多いんだって覚えておけよ。
それより、どうせ追いかけるんだったら人の笑顔だよな。
人の喜びを追っかけていたら人生って本当に幸せなんだよ」
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