「光」から学習機会を認められたからこそ(人間として学習するに値する存在だからこそ)、人生という修行を受けることが出来ているのです。
ほかの人間たちから認めてもらわなくても、もうすでに、私(光)がお前を認めているではないか。
だからこそ、お前は生れてきたのではないか。
その、私(光)に認められているという喜び、生れてくることができたという誇りを、忘れないでいなさい。
その喜びと誇りさえあれば、もう十分ではないか。
なぜお前は、そのうえに、さらに他人に認めて貰うことなどを、求めようとしているのか。
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